トライアスリートの日常


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白州次郎

っていうかっこいい男がいた。

終戦直後の日本で唯一アメリカ人と対等にわたりあった男。

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以下はWikipediaから

1902年(明治35年)2月17日兵庫県武庫郡精道村(現、兵庫県芦屋市)に白洲文平・芳子夫妻の次男として生まれる(別邸は兵庫県川辺郡伊丹町:現、兵庫県伊丹市)。白洲家は、摂津国三田藩(現、兵庫県三田市を中心とした地域)の儒学者の家柄で祖父・白洲退蔵は、三田藩儒。明治維新後は鉄道敷設などの事業を興し、一時横浜正金銀行の頭取も務めた。また、神戸ホーム(神戸女学院の前身)の創立にも尽力した。父文平は、ハーバード大学卒業後、三井銀行、鐘淵紡績を経て綿貿易で巨万の富を築いた。

1919年(大正8年)旧制第一神戸中学校(現、兵庫県立神戸高校)を卒業。神戸一中時代は、サッカー部・野球部に所属し、手のつけられない乱暴者として知られ、当時すでにペイジ・グレンブルックなどの高級外国車を乗り回し、後のカーマニア・「オイリー・ボーイ」の片鱗を見せていた。同級生には、後に作家で文化庁長官となった今日出海、中国文学者で文化功労者となった吉川幸次郎がいる。妻、白洲正子は随筆家、長男(第一子)白洲春正は元東宝東和社長、次男(第二子)白洲兼正、長女(第三子)白洲(現姓:牧山)桂子は旧白洲邸・武相荘館長。1942年東京都南多摩郡鶴川村(現、東京都町田市鶴川)へ転居し、農業に従事した。


イギリス留学
神戸一中を卒業しイギリスに留学。ケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学し、西洋中世史、人類学などを学ぶ。自動車に耽溺し、ブガッティやベントレーを乗り回す。ストラトフォード伯ロビン・ビングと終生の友となる。ロビン・ビングとは、ベントレーを駆ってジブラルタルまでの欧州大陸旅行を実行している。1925年(大正14年)ケンブリッジ大学を卒業。1928年(昭和3年)父の経営していた白洲商店が倒産したため、帰国を余儀なくされる。


帰国
1929年(昭和4年)、英語新聞の『ジャパン・アドバタイザー』に就職し記者となる。友人樺山丑二の紹介で妹の正子と知り合い、結婚する。その後、セール・フレイザー商会取締役、日本食糧工業(後の日本水産)取締役を歴任する。この間、海外に赴くことが多く、駐イギリス大使であった吉田茂の面識を得、英国大使館をみずからの定宿とするまでになった。また、この頃、牛場友彦や尾崎秀実とともに近衛文麿のブレーンとして行動すると宣伝されているが当代の碩学の揃った「朝飯会」では無論、端っこにいる存在である。


ヨハンセン・グループ
1940年(昭和15年)来るべき日米戦争を予感し(夫人の白洲正子によれば、臆病なので空襲をおそれて)、事業から手を引き、鶴川村・武相荘(ぶあいそう)に隠棲。カントリー・ジェントルマンを自称する。食糧不足に対処して農業に励む日々を送る一方で、吉田茂を中心とする「ヨハンセン・グループ」(宮中反戦グループ)に加わり、終戦工作に奔走し、ここから白洲の「昭和の鞍馬天狗」としての活動が始まる。


終戦連絡中央事務局
1945年(昭和20年)東久邇宮稔彦王内閣の外務大臣に就任した吉田茂の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。ここから、白洲次郎の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)を向こうに回した戦いの火蓋が切られる。白洲は、GHQ/SCAPに対して当時の日本政府および日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し、英国仕込みの流暢な英語(白洲は日本語を話す方が訥弁になった)とマナー、そして本人が元々持っていた押しの強さと原理原則を重視する性格から、主張すべきところは頑強に主張し、GHQ/SCAP要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わせしめた。

昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に、プレゼントがぞんざいに扱われたために憤激して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置いてくれとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせた。マッカーサーは当時、神と崇められるに等しい存在だったが、白洲次郎に申し訳ないと謝った。 GHQ/SCAP民政局長のホイットニー准将に英語が上手いと言われ「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」と逆襲した、などGHQ/SCAPとの交渉の間に生まれたエピソードは数多い。


憲法改正
同年には憲法改正問題で、佐々木惣一京都帝国大学教授に憲法改正の進捗を督促する。1946年(昭和21年)2月13日松本烝治国務大臣が中心として起草した憲法改正案(松本案)がGHQ/SCAPの拒否にあった際に、GHQ/SCAP草案(マッカーサー案)を提示されている。白洲は、2月15日にGHQ/SCAP草案の検討には時間を要するとホイットニーに宛てて書簡(いわゆる「ジープウェイ・レター」)を出し時間を得ようとするが、これは、GHQ/SCAPから不必要な遅滞は許されないと言明される。1946年3月に終連次長に就任。8月経済安定本部次長に就任。1947年(昭和22年)終連次長を退任する。


貿易庁初代長官
1948年(昭和23年)商工省に設立された貿易庁の初代長官に就任する。経済復興には輸出振興が必要であるとし、通商政策の強化を目的とし、商工省を改組し、通商産業省設立の中心的役割を果たした。これはGHQ/SCAPの圧力を利用した通産省の池田派占有のロビー活動でしかなかったと批判されつづけている。1950年(昭和25年)講和問題で、池田勇人蔵相、宮沢喜一蔵相秘書官とともにアメリカに渡り、ジョン・フォスター・ダレスと会談し、平和条約の準備を開始した。

1951年(昭和26年)9月サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ、英語から日本語に直し、沖縄の施政権返還を内容に入れさせた。吉田退陣後は、政治から縁を切り、実業界に戻る。


実業界へ復帰
既に吉田側近であったころから電力事業再編に取り組んでいた白洲は、1951年5月に東北電力会長に就任する。昭和34年(1959年)に退任するまで、精力的に動き福島県奥只見ダムなどの建設を推進した。東北電力退任後は、荒川水力発電会長、大沢商会会長、大洋漁業、日本テレビ、ウォーバーグ証券の役員や顧問を歴任した。




就活してた頃、尊敬する人物で挙げたのは白州次郎。
むっかし彼の家の近くに住んでたことがあったんだけど、その頃は何も知らなかったからな~。つかその頃は奥さんしか生きてなかったし。


ちょっと前にNHKの番組で取り上げあれて注目されてきているらしい。
紛れもなく歴史を動かした男。


そしてなにより、白州次郎はオシャレだった。

初めてジーンズをはいた日本人とも言われ、グレンチェックのスーツを愛用し、英国留学時代はベントレー、そして晩年、80歳までポルシェ911を乗り回した男。

やることもかっこいいが、外見もそうとうかっこいい。


おれもそんな男になりたーい!!
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by kuniorinox | 2006-06-14 21:56 | 何かの感想文